会長のつぶやき

新年度がスタートし、はや3ヶ月を過ぎました。この間、とてもいろいろなことがありました。今年度中にやりたいことはたくさんあるのですが、まだまだ、とりかかれないこともあります。PTA活動は特に、人と人との気持ちが大切なので、それぞれにすれ違いが起きないようにするのが、なかなか大変ですね。
日本人のなかでも特に魚沼人は、「気持ち」の伝え方が難しい人々だと感じています。端的にいうと、「自分の気持ちはあまり出さず、人の気持ちをくみ取ろうとする」ということでしょうか。

一例ですが、若い頃幹事をした宴席で上席から、
「幹事くん、もう酒は追加しなくていいからの」
と言われて、本当に追加しなかったら、終わってから
「今日はちっと、はりあいがなかったの」
などと言われたことがあります。
(これはすごく難しかったです。文末に私なりの解答例。)

自分の気持ちを押さえて、相手の気持ちを察して行動していく、日本人にとっては美徳とも考えられていたのではないでしょうか。その結果、「奥ゆかしさ」「いわずもがな」などが文化面にもあらわれ、ちょっと前のフレーズでは「美しい国」を形づくってきたとは思います。

では、現代にどのように反映されてきているのかを考えたりすると、最近気になるのが「KY」という言葉です。
「あの人、空気読めない。」
なんという怖いフレーズでしょう。アルファベット2文字でメンバーの一人を排除できるのです。

解釈を試みてみます。
「グループの意見はある方向に傾いているのに、別の方向の主張や行動をしようとする。」といったところでしょうか。
結局は相手の立ち場になって考えられるかどうか、だと思うのですが。
「KY」と言われた人は、グループ全体の立ち場を考えていないということでしょうし、
「KY」と言ってしまうグループのメンバーは、その人の意見を尊重していないということではないでしょうか。
さらに言えば、相手の気持ちを理解したうえで、自分の気持ちをどう表現するか、ということだと思うのですが。

しかし、そこに「自分の気持ち」は言わないという難しい日本文化があるので、ややこしいのです。

「KY」などという言葉で簡単に片付けるのではなく、お互いの気持ちは表現し合って、相手の置かれている状況や気持ちを理解しようとすることが大切なのではないでしょうか

ネットでは長文を書くのも「空気読めない」そうではないですか。
ということで、核心に入るのは次回にしたいと思います。

(解答例:魚沼編)
「幹事くん、もう酒は追加しなくていいからの」
と言われたら、
○「そんなこと言って、ホントはもっと飲みたいんでしょ。」
○「私が、もうちっと飲みたいのですが、幹事特権で追加しようと思ってたんですよ。」
などと対応してみてはどうでしょう。 嫌いな人に言われたら、 「わかりました。終わりにしましょう。」
と言って、家に帰りましょう。



■ つぶやき2 ■



さて、「空気を読む」って言葉は、あまり好きになれないのは、「自分のことをわかって」というスタンスだからのような気がします。逆に「相手のことをわかろう」というスタンスであれば、それほど違和感を感じないかもしれません。ただ、「俺って空気読んじゃうヒトだから」などというと、これまたちょっと変な感じですので、気をつけないといけません。

「相手のことをわかろう」というスタンスは、「相手の立場になって考えられるか」ということだと思います。
どんなことかをうまく説明できないのですが、これまでのPTA活動を通して、ふと感じた場面をお話します。

平成18年度から本格的にはじまった見守り隊の活動ですが、見守り隊に参加してくださった皆さんは、登下校の子どもたちを見守ることができない保護者の立場を理解して、自分のできる範囲で引き受けてくださったのだと思います。「相手の立場」を理解して、みずからの意思で動きだす活動であるからこそ、3年目を迎えた今年でも、にぎやかな活動が継続しているのだと思います。例えば、見守り隊の人たちは趣味で見守っているんだ、とか、町内会で人数分担をして手分けしながらやっているんだ、ということでは、ここまで盛んな活動にはなっていないのではないでしょうか。

そこで、ひとつ考えてみていただきたいのが地域の事情なんです。たとえば見守り隊のことを述べましたが、うちの地域はバス通だから関係ない、と考えている方はいないでしょうか。当然のことだと思いますが、でもそこを何とか「相手の立場」で考えてみませんか。バス通の地域の保護者も、徒歩で登下校をしている子どもたちのことを考えてみるのです。どんな心配や不便があるか。心配や不便について、大勢で考えることができ、いいアイディアが出るかもしれません。しかし、本当に大切なのことは、その結果、徒歩で登下校している子の保護者が、バス通の子たちを持つ保護者の立場を考えるようになることではないでしょうか。

それぞれの地域には、それぞれ独自の課題があります。「その地域のことはその地域で解決して」というのは真っ当な発想だと思いますが、一つのPTAの仲間であれば、いろいろな地域の人たちが、他の地域の心配や不便を一緒に考えていくことで、いろいろなことがわかり、解決にむかっていくと思います。
地域のことばかりではないと思います。隣のクラス、他の学年など、学校でのことも同じだと思います。みんなが他のみんなのことを考えられるようになれば、PTAの活動も活発になって、さらに、学校自体もいきいきとしていくのではないでしょうか。
そんなことを考えている今日この頃なのです。

最後の方は結論を急いで、飛躍的になってしまいましたが、これでつぶやきを終わります。



■ つぶやき3 ■



会長がネタ切れとのことなので、副会長の僕が代打です。

会長には及ぶべくもありませんが、副会長もそれなりにたいへんで、昨年4月の就任以来ばたばたと忙しく日々が過ぎていきます。主観的にはがんばっているつもりですが、いたらないこともあります。各委員会の委員や一般会員の皆さんから厳しいご意見をいただくこともあります。

そんな中で、たまにですが「やってて良かった」と思う時があって、それは今まで知らなかった人たち(保護者や先生)と知り合いになって、意思の疎通が図れた(気がする)瞬間だったりします。

もともと出無精で人見知りの僕のこと、「PTAの役員でもなければこの人とは口を聞く機会もなかったんだろうな」という人と知り合うことが結構ありました。そういう人と、学校以外の場で、(例えば祭りの時に)ばったり会って「どうも。お疲れ様です」「や〜どうもどうも」「今日は仕事ですか」「ええまあ」という程度の会話があることによって、以後のPTA活動がほんの少しだけれど確実に円滑に運ぶという気がするわけです。PTA活動に限らず、大きくいえば地域のコミュニティがちょっとずつ豊かになると思うわけです。

もちろん、ほとんどの人とは友人というほどには親しくなりません。しかし、それはそれで充分で、弱い結びつき(ウィークタイズと言うそうです)が数多くいろいろな人とつながっている状態こそが、いろいろな選択の幅をちょっとずつ広げ、その実現の可能性をちょっとずつ高める、と。聞きかじりですが、自分を振り返ってみると、実感としてうなずけます。

PTAも、そういうウィークタイズを数多く生み出せればしめたもので、もとより相当にストロングであるそれぞれの親子のストロングタイズを補完する(あるいは中和する)ための、PとP、PとTのウィークタイズを醸成することがPTAの大事な役割だと思います。

なんだか書いていてよくわからなくなってきましたが、大人同士のゆるいつながり(がいっぱいある状態)が風通しよく気分のいいコミュニティをつくり、そういうコミュニティこそ児童の健全な発達には欠かせない、ということが言いたかったのでした。



■つぶやき4■



 大きな岩でも、まん丸で下の道もまっ平らなら、一人でも転がせられるかもしれません。でも実際には岩も凸凹、道も凸凹な場合がほとんどです。それでも、何人かが力を合わせれば重い岩でも動きはじめます。動かすのが大変な岩ほど、「こんな岩動かせるはずない」と思う人が多くなってしまいます。そんな中、数人が「動かそう」と決意し、岩を動かせるだけのメンバーを揃え、やっとこさ動かすことができました。岩が動き始めれば、それまで「動かせない」と思っていた人たちもいっしょに押してくれたりもします。まあ、それでも「すぐに止まっちゃうよ」と、まだ見ているままの人もいるでしょう。
 今度はその岩をどこに転がしていくか考えなければなりません。ほっておけば、転がるのは高い方から低い方へいっちゃいます。押している方は楽でしょうが、でも一番低い所にきたら、そこから動かすことはもっと大変になってしまいます。いつもちょっとずつ上へ上へと転がしていくことが、転がし続けるには大切なことかなと思います。
 そんなことを続けていけば、凸凹だった岩も、角が取れ、どんどんまん丸に近づいていくのではないでしょうか。そんなことを最近考えています。